大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和55年(う)128号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原審における未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

本件控訴事実中、被告人が法定の除外事由がないのにAに対し、札幌市中央区北四条西四丁目札幌東急ホテル客室において、昭和五一年一月一四日ころ覚せい剤結晶約五〇グラムを、同月一六日ころ覚せい剤結晶約三〇グラムを、それぞれ譲渡したとの点については、被告人はいずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人武田庄吉、同武田英彦が連名で提出した控訴趣意書及び同補充書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに原判決は、Aの捜査官に対する各供述調書に基づいて原判示第一及び同第二の各事実を認定したが、右の各供述調書は信用性がなく、他に被告人が原判示第一及び同第二の覚せい剤譲渡行為をしたことを認めるに足る証拠はないから、原判決は原判示第一及び同第二の事実につき事実を誤認したものであり、被告人は右各事実につき無罪である、というのである。

そこで、一件記録を精査し、当審における事実の取調べの結果をも合わせて検討すると、原審で取り調べられた関係各証拠のうち、被告人が原判示第一及び同第二の各譲渡行為をしたことの裏付となり得るものは、刑事訴訟法三二一条一項二号後段の規定によって取り調べられたAの検察官に対する昭和五一年二月二〇日から昭和五三年一一月三〇日までの各供述を録取した調書九通(うち一通は謄本)と同法三二一条一項一号後段の規定によって取り調べられたAの裁判官に対する昭和五一年六月二日の供述を録取した釧路地方裁判所昭和五一年(わ)第四九号事件第三回公判調書中の同人の供述記載部分(謄本)に限られるところ、これらの各供述の信用性について更に立ち入って検討すると、《証拠省略》によれば、右Aは、昭和五一年二月六日覚せい覚取締法違反の嫌疑で逮捕され、その際大量の覚せい剤を同人方居宅で所持していたことから、その入手先について捜査官による追及取調べを受け、当初はその入手先について供述しなかったが、同月一〇日ころから取調警察官に対し、右入手先についての供述を始め、当初は、関西弁を使う「マサキ」なる者から譲り受けた旨を供述していたが、更に同月一三日に至り、同じく取調警察官に対し、右の供述が真実でなく、すべてを正直に話して一日も早く刑を受けてやり直すつもりになった旨の前置きをして逮捕時に所持していた覚せい剤を含む約三八〇グラムの覚せい剤を、昭和五〇年八月ころから昭和五一年一月中旬ころまで七回にわたり、いずれも被告人から譲り受けた旨供述し、その後右譲受けの時期、回数について若干の変更を加える供述をしたのちに、検察官に対してこれと同趣旨の前掲各供述をし、これに引き続き、A自身に対する被告事件の公判廷において、右と同趣旨の概略的な供述をし(前記公判調書中の供述記載部分)、ほどなく懲役五年の刑の言渡しを受けて服役したが、その後、昭和五三年三月二七日に「Aが被告人から譲り受けたとする前記覚せい剤のうち約四〇グラムをBに譲り渡したか否か」の点について検察官から取り調べられた時から同年一一月三〇日までの間も、Aは、検察官に対し、前述のとおり、被告人から数回にわたり大量の覚せい剤を譲り受けた旨の供述を維持していたけれども、同年一二月四日に至り、釧路警察署の警察官から取り調べられた際、それまでの被告人から覚せい剤を譲り受けていた旨の供述をひるがえし、被告人から覚せい剤を譲り受けたことは一度もなく、逮捕当時所持していた前記覚せい剤はCから譲り受けたものである旨の供述をし(この時には供述調書は作成されなかった。)、同月中に検察官に対しても同趣旨の供述をし(この時にも供述調書は作成されなかった。)、じ来一貫して(すなわち、原審及び当審の各公判廷においても)、被告人から覚せい剤を譲り受けたことは一度もない旨の証言をしているものであり、一方被告人も昭和五三年一一月八日に逮捕されてから一貫してAに覚せい剤を譲り渡したことは一度もない旨供述し、原判示第一及び同第二の各犯行を否認し続けており、以上のほかAと被告人との間の覚せい剤授受についての資料は見当たらない。しかも、Aは、前記のとおり捜査官に対して被告人から数回にわたり多量の覚せい剤を譲り受けた旨述べている場合に限ってみても、被告人が逮捕されるよりも前の時点においては、被告人からAが覚せい剤を譲り受けた経緯、その回数、各譲受けの日時やその量等につき、あいまいさをほとんど残すことなく明確に供述していながら、被告人がこれらの供述を根拠に逮捕された後の昭和五三年一一月二五日以降の検察官に対する供述においては、被告人から譲り受けた回数、その日時、各譲受量についてあいまいな供述しかしないようになり、Aの供述の右のような変化は単に時間の経過による記憶の減弱のみに基づくものとは理解し難い不自然さが看取されるのみならず、Aが捜査官に対し、被告人から覚せい剤を譲り受けた旨述べている前掲各供述の内容に即して吟味しても、まず第一に、被告人からの覚せい剤譲受けのうち第一回目を含む数回の各譲受けに際し、「その譲受代金は覚せい剤を更に末端の方に売り捌いた後に支払う」いわゆるサイドの方法による旨の約束をしたと供述しながら、その支払期限とか支払態様(持参、取立、送金など)とかについて何らかの約束を交わしたとは全く述べておらず、三〇グラムとか五〇グラムとかという極めて多量の覚せい剤取引のあり方としてはこの点で極めて異例の約定であったといわざるを得ないうえ、Aは右のサイドによる取引の各譲受代金の支払いは数回にわたりBを通じて支払ったと供述している(しかし、その各支払の時期、場所、金額等を明らかにしていない。)ものの、右Bは、原審公判廷における供述において、右の支払を仲介した事実を全面的に否定しているほか、他に右分割支払の事実を裏付ける証拠は全くないのであり、他方覚せい剤譲受代金の支払期限や支払態様を具体的に約束しないで、多量の覚せい剤をまず譲受人に手渡してしまうのは、譲渡人と譲受人によほど強い結びつきがある場合に限られると考えられるけれども、被告人とAとの間に左様な関係があったとはうかがわれないし、そのうえ、Aは、被告人の日常の居場所や被告人の電話番号などを全く知らず、いつも、被告人側からAの方に電話連絡があって次の取引の話が始まる関係にあったと述べるが、この点も、更に末端に売り捌き、その代金で前の譲受代金を支払うというサイドの方法で取引を始めた元売りと中間密売人との関係としては十分合点が行かないところであり、これらの点を考えてみると、Aが果して同人がいうようなサイド方式による覚せい剤取引をしたことがあるのか否か、あるとしても、その相手方が果して被告人であったのか否かについては、多分に疑問をさしはさむ余地があり、次に、Aが被告人から昭和五一年一月一五日(又は一六日)に札幌東急ホテルにおいて約三〇グラムの覚せい剤を譲り受けたとする供述の信用性についても、そのような取引をするに至った経緯とその日時に関し、Aは、被告人が逮捕される以前の時点においても、当初、札幌から釧路に帰るための飛行機に乗り遅れて千歳空港から札幌東急ホテルへ行き、同ホテルにもう一泊することにした後、同ホテル内の被告人に連絡をして、被告人の部屋で話をするうちに被告人から約三〇グラムの覚せい剤を譲り渡す旨の申出があってこれに応じることにした、と述べ、その譲受けが一月一六日ころであったと供述していたのに、後になると、釧路に帰ろうとして飛行機に乗り遅れた日の前日に全日空ホテルから札幌東急ホテルの被告人に電話をしたところ被告人がいたので同ホテルの被告人の部屋に行って話をするうちに被告人から約三〇グラムの覚せい剤を譲り渡す旨の話があったので、これに応じた(すなわちその譲受けの日は一月一五日ころであった)と供述を変えたばかりか、被告人が逮捕された後の昭和五三年一一月二五日付の検察官に対する供述調書では、初めに、一月一五日に間違いない旨供述しながら、最後にこれを読み聞かされると、一月一六日(同調書の記載によれば、その譲受時刻は午後六時三〇分ころとなる。)被告人が宿泊していた札幌東急ホテル客室で買った記憶しかないと言い張り、一月一六日の夜被告人が札幌東急ホテルに泊った旨の記録がないとする同ホテルの従業員の方がむしろ勘違いをしているとまで強弁しており、このような供述の変転、くい違いはまことに異常というほかなく、かつ、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、Aが札幌から釧路へ帰るべくD子と一緒に全日空ホテルをチェックアウトしたのは一月一六日午前一一時から午後三時までの間のことであり、飛行機に乗り遅れた両名が札幌東急ホテルにチェックインしたのが同日午後四時四八分のことであるのに対し、被告人が同ホテルをチェックアウトした日時が同日午後零時五二分であることが明らかであるところ、本件公訴事実においては、同日ころの午後六時三〇分ころ同ホテルの客室においてAが被告人から覚せい剤約三〇グラムを譲り受けたと主張されていることにかんがみると、右のAの供述にみられる変転、くい違いは、被告人からの覚せい剤譲受行為があったとされるその日時に関する変転、くい違いであるにとどまらず、被告人からの譲受行為自体が果して存在したのか否かについても疑いを生ぜしめるような矛盾といい得る(なお、この点に関し、被告人が昭和五一年一月一三日から札幌東急ホテルの一〇一七号室に宿泊し、同月一六日午後零時五二分に同室に関するチェックアウトをしているとしても、被告人の右の宿泊の際の「宿泊カード」には「W一〇一九」なる記載があること及びAが昭和五一年二月一八日被告人からの同年一月一六日ころの覚せい剤譲受けに関し捜査官から取り調べられた際、その譲受場所についても供述し、その説明のため図面を作成したが、その図面中のベッド、テレビ等の配置が札幌東急ホテルの一〇一九号室のそれらの物の配置と類似していることが原審で取り調べられた関係各証拠により認められるけれども、札幌東急ホテル一〇一九号室のチェックアウト時刻がいつであったかはAに対する捜査が行われていた昭和五一年二月から三月ころであればあるいは同室の宿泊カードにより確認する余地があったが、現在同年一月ころの宿泊カードは保存されておらず、結局その時刻が不明というほかなく、従って、「W一〇一九」なる記載を根拠にして被告人が札幌東急ホテル内に昭和五一年一月一六日の午後零時五二分以降もとどまっていたと推認することは許されないし、また、Aが作成した前記図面の内容についても、当審公判廷における証人Aの供述によれば、同人が同年一月一六日から翌一七日にかけて宿泊した同ホテル六一一号室又は同人がその図面作成時よりも前に宿泊したことがある旭川東急ホテルの客室を想起しながら作成した疑いも残るから、右図面の内容が札幌東急ホテル一〇一九号室を示すものとは直ちに推認しがたいことになり、結局、Aが被告人から昭和五一年一月一六日ころの午後六時三〇分ころ札幌東急ホテル客室で覚せい剤を譲り受けた旨のAの供述自体客観的事実に反する不合理なものではないかとの疑いを避け難い。)。

以上の諸点にかんがみると、被告人とAとの間に原判示第一及び同第二のような覚せい剤取引があった旨のAの捜査官に対する前掲各供述は、同人がその所持していた大量の覚せい剤の入手先についての捜査官からの追及を一時的にかわすために右覚せい剤の譲渡人として被告人の名前を持ち出しただけ(Aの裁判官に対する前掲供述もそれ以前の捜査官に対する前掲各供述を繰り返しただけ)であって、真の譲渡人は別に存在していたものであるかもしれないとの疑惑をさしはさむ余地があり、右疑惑は一応合理的なものと考えられる。しかも、前述のとおり、Aは、昭和五三年一二月以降、右覚せい剤はCから譲り受けたもので被告人から覚せい剤を譲り受けたことはない旨供述し、じ来一貫して右供述を維持して現在に至っているのであって、このことも右合理的疑惑を一層強化しているものである。すなわち、右供述によれば、Aが誰から覚せい剤を譲り受けたかにつき、例えば、Aが前刑終了(昭和五〇年六月)後ほとんど金がなかったのにほどなく大量の覚せい剤を入手し得たのは、譲渡人がAと極めて親密な関係にあったCであったからではないか、とか、Aは右Cとの関係をおもんばかり、捜査官に対しては可能な限りCの名を出すまいとしたが、逮捕時に所持していた大量の覚せい剤の入手先について厳しく追及されたため、被告人の名前を出すことによって、Cの名前を出さず、かつ、自ら反省している旨の態度を装おうとしたのではないか、とかというような推論が具体的に可能となる(なお、Cが死亡した昭和五一年九月六日当時、Aは網走刑務所に服役中であり、その当時Cの死亡が同刑務所内にも伝わり、同刑務所内の受刑者の中にその死亡を知った者がいたかもしれないことは、《証拠省略》により一応これを推測し得るけれども、それもあくまでも推測の域を出ず、まして、Aは、網走刑務所受刑中は他の者との通謀のおそれがあったためか終始独居房に収容されるなどの処遇を受けていたことが原審及び当審で取り調べられた関係各証拠からうかがわれるのであるから、他の受刑者を通じてAがCの死亡を知ったと推認することは困難であり、また、Cの死亡広告が北海道新聞釧路版及び同釧根版に掲載されたことがあったが、網走刑務所在監中のAが右の広告を読んでその死亡を知ったか否かについても、原審及び当審で取り調べられたすべての証拠によってもこれを知ったものと肯認するに至らない。)からである。

以上の理由により、被告人が原判示第一及び同第二の各覚せい剤譲渡行為をしたと述べるAの前記各検察官調書及び前記公判調書中の供述部分は、その信用性が乏しく、これらの供述調書のみに基づいて被告人が右の各譲渡行為をしたと断定するにはなお合理的な疑いが残るといわざるを得ないところ、他に被告人が右の各譲渡行為をしたと肯認するに足りる証拠はないのであるから、結局、被告人が原判示第一及び同第二の各譲渡行為をしたと認定した原判決は事実を誤認したものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において更に次のように自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五二年一二月七日午後五時三〇分ころ、東京都港区《番地省略》Eビル内において、Fに対し、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約〇・八〇二グラムを譲り渡したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項に該当するので、所定刑期の範囲内で諸般の情状を考慮し、被告人を懲役一年に処し、刑法二一条により原審における未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分をその刑に算入することとする。

(一部無罪の理由)

本件公訴事実中、昭和五三年一一月二九日付起訴状記載の各覚せい剤取締法違反の点の要旨は、被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五一年一月一四日ころの午後二時ころ、札幌市中央区北四条西四丁目札幌東急ホテル客室において、Aに対し、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶約五〇グラムを譲り渡し、更に、同月一六日ころの午後六時三〇分ころ、右札幌東急ホテル客室において、同人に対し、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶約三〇グラムを譲り渡したものである、というのである。しかしながら、被告人が右各譲渡行為をした旨のAの前記各検察官調書及び前記公判調書中の供述部分はその信用性に乏しく、これらの供述調書のみに基づいて被告人が右各譲渡行為をしたと断定するには合理的な疑いが残り、かつ、他に被告人が右の各譲渡行為をしたと肯認するに足りる証拠は見当たらないから、結局右の各覚せい剤取締法違反の点は、いずれもその犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 山本卓 裁判官 藤原昇治 雛形要松)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例